ーー

「ただいまー」
いつも通りの帰宅

「あぁ... 明ぁおかえりぃー...」
いつも通りじゃない返答
なんだろう、と居間を見る

「...ね、姉さん、なんで居間で寝転がってるの?」
そこには、いつも通りじゃない姉が居た

 

「んふー あのねぇ、これ...いきつけのお店でいただいたのよぉ」

そういって姉が見せたのは、高そうな箱にきれいに並べられたチョコレート
一つ一つ、素朴ながらもどこか高級感ただよう造形をしているそれは、いわゆる

「ウイスキーボンボンなんだけどぉ、お店の人が知り合いから海外旅行土産で貰ったんだってぇ」

「でもねぇ、お店の人ったらお酒に弱いらしくてぇ」

「なんとなぁく、うちのお父さんが好きそうだなーって話をしたら、もったいないからあげちゃうってぇ」

「さすがに悪いと思ったんだけど、食べられないよりずっとマシだぁって でねぇ、それで」
「あーもう分かったから、そこまででいいよ」

さすがに、帰宅早々のねっとりしたマシンガントークはこたえる
とりあえず事情は分かったけど...ちら、と箱を見ると、まだ三つほどしか減っていない

「姉さん、お酒に弱かったの?」

「んぅ? あまり飲んだことないから分からない...うっ」

「姉さん?」

「明...お水持ってきて...ちょっと急いで...!」

「なにぃ? まだ日も高いうちから全くもう...」

しっかり者の姉のだらしない姿に、椿は少し呆れると同時に、ちょっとだけ貴重だなとも思った

ーー

そんなこともあった日から数日後

いつもの卜部との帰り道にて、卜部に
「以前貸した参考書を返してもらいたい」と言われた

あとで卜部の家まで届けに行くよと応えると、
「それだと椿くんに歩かせちゃうわ 私が今あなたの家まで行くわよ」と返された
もちろん断る理由はない むしろちょっとラッキーだな、と承諾した


ーー

「ただいまー」
「...お邪魔します」
ちょっと緊張してる(と思う)卜部も可愛いな、なんて思っていたが
ふと、姉からの「おかえり」がないことに気づいた

「卜部、先におれの部屋行っててよ」
と言うと、卜部は静かに頷いて階段を上がっていった

「姉さーん? あれ...いないな」
居間を覗いても姉の姿はなく、代わりに、卓の上に手紙が置いてあった

『町内会の集まりで夜遅くまで帰れません 夕飯はお父さんと相談してください』

「ふーん、姉さん夜までいないのか...父さんも仕事だし、てことは...!」
今は卜部と二人きり、ということだ


ーー

部屋に行くと、卜部は正座でちょこんと座っていた

「ごめん、待った?」

「いいえ...じゃあ椿くん、早速だけど参考書を」

「そ、そのことなんだけど卜部 今、うちには誰もいないんだよ」

「でさ、せっかくうちにきたんだし...も、もうちょっとゆっくりしていかない?なんて...」

「...」
なにかを考えるように俯く卜部 少しそうしていて、おもむろに顔を上げる

「そうね、せっかくだからもう少し居させてもらおうかしら」

「ほんと!?」
変に思われないよう、心の中でガッツポーズをとった
ありがとう姉さん、ありがとう町内会

ーー

突如降ってわいた二人きりになれるチャンス

「……」


そんなチャンスを利用して、僕らは今、互いに向かい合って…

「……」


…学校の宿題を解いている

ーー

「ねえ椿くん あなたに貸してた参考書、たしか数学のだったわよね?」

「せっかくだからそれを利用して、今日出た数学の宿題終わらせちゃいましょう」

「仮に解らないところがあればお互いにカバーできるし」

ーー

(まあ、たしかに? うってつけといえばうってつけなんだけど)

(せっかくのこういうチャンスで、ただ宿題ってのもなぁ…)

…と、内心気が進まないものの、黙って宿題を解いていく
借りた参考書のおかげか、それなりに滞り無く進んでいき
30分程で終わらせることができた

「ふぅ… 卜部、そっちは終わった?」

「うん、今は間違ってないかどうか確認を…」
卜部は参考書と宿題プリントを交互に見比べて、時折プリントの方に訂正を入れたりしている

(こういうところ律儀だよなぁ)
女の子らしいというか、卜部らしいというか
とりあえず終わらせればそれでよし、な自分とは大違いだなと苦笑する
なんてことを思っていると、ふと、小腹が空いてきたことに気がついた

「卜部、ちょっとお茶でも持ってくるよ」
卜部の「ん」という返事を聞いて、僕は階段を下りて台所に向かった

ーー

「ええっと、なにかあるかなっと」
戸棚を物色し、なにか良さげなものを探す
疲れた頭には甘いもの、ということで甘いものを探すが
出てきたのはせんべい等といったどこか渋いものばかり

「しょうがない、ジュースだけでもいいかな」
たしかオレンジジュースがあったな、と冷蔵庫を開ける

すると目に入ってきたのは、記憶にあった通りオレンジジュース

それと、あのチョコレートだった

ーー

「明、あのウイスキーボンボンだけど、あまり食べないようにね」

「えぇ? なんで? 美味そうなのに」

「なんでって…ちょっとお酒が強すぎるし、大体、あなたはまだ未成年でしょ」

「ああ、まあ… オトナな姉さんがあんなに酔っぱらうくらいだもんねー」

「もう、ばかにして! とにかく! つまむにしても、一つくらいにしなさいよ!」

ーー

「……」

姉さんはあんな風に言ってたけど、実際自分で食べてみたら全然平気だったな
それに美味しかったし…卜部に食べさせてもきっと大丈夫だろう

(疲れた頭には甘いものだしね)

そうして、コップに注いだジュースとチョコを二つずつ用意して、僕は部屋へと戻った


「卜部、おまたせ 答え合わせ終わった?」

「…ええ、ちょうど終わったところよ」

「そっか はい、飲み物と、少ないけどお菓子」

「ありがとう いただきます」
そういうと卜部は、さっそくチョコを一つ手に取り、口に投げ入れた

「ん、美味しい」

「ほんと? 良かったよ」
よし、選択は間違ってなかったようだ、と自分もチョコを一つ食べる

ほんの少しの苦みと、それを優しく包み込む甘さが舌の上を転がる
卜部のよだれとは、また違った脳にくる甘みだ


ころころと、舌で転がしながら堪能する

「椿くん」
不意に卜部が言う

「今回は、ベッドの下に写真集はなかったわね」

うぐっと、思わずチョコを飲み込みかけた
いや、実際飲み込んだのだが、途中で喉に詰まってしまった
急いでジュースで流し込む チョコの甘さに慣れた舌が、オレンジの酸っぱさを強調させる

「…っ! ゲッホ、ゲホ! ま、また見たのか!?」

「さっき椿くんが下に行っている間にね」

「か、勘弁してくれよ〜…」

「いいじゃない 写真集なんて買わなくても…」
言葉を濁し、卜部は僕から目を逸らした

(買わなくても…なんだ?)

「そ、それはそうと、このチョコなんか変じゃない?」

「変?」

「なんだかお酒の味がした… これって」

「ああ、言わなかったっけ いわゆるウイスキーボンボンだよ」

「ウイ… 大丈夫かしら」

「大丈夫だよ、そんなにお酒強くないし」

「…そうなの? じゃあもう一つのも…」
そういってもう一つ。卜部はチョコを口に入れた

(やっぱり大丈夫だったな)
僕ももう一つ食べようとしたが、さっき丸飲みしたチョコがまだ残っている気がして、まだ取っておくことにした

ーー

「椿くん、はしたないようだけど、もう一ついただいてもいい?」

卜部はよほどこのチョコが気に入ったようだ
二つ目を食べ終わてすぐ、僕の方を見てこう切り出してきた

もちろん、とチョコを摘み卜部に差し出す
なぜか僕はこの時、無意識に卜部の口の前にチョコを差し出していた

すると卜部は、当然のごとく口をチョコに近づけ

「ありがと」
と、直接口でチョコを咥え取った

(あれ…卜部なんだか…)
そんな卜部に、少しドキドキしつつも違和感を覚える
少なくともいつもの卜部だったら、普通に手でチョコを受け取っていたはずだ

(…まさか、まさかお酒が…?)

思い返せば、そういえば卜部は二つのチョコを食べていた

未成年だからかもしれない
卜部が実はお酒に強くなかったということかもしれない
チョコのお酒が僕の思っている以上に強かったということかもしれない

事実、卜部は今、たぶん酔っぱらっている

そして重要なのは

姉さんの時と同じように、三つチョコを食べたということだ


「…卜部! 三つはちょっとまずいぞ! そいつは出した方が良い!」

「んー?なにが?」

「だから、中のお酒にたどり着く前に吐き出…って、ああ!?」
時すでに遅し 卜部の口からチョコをかみ砕く音がした

(こ、これってまずいんじゃあ…)

「ん…美味し…」
人の心配をよそに、卜部は美味しそうにチョコを食べている

ーー

「あのー、卜部ー?」

「んぅー?」

「…1+1=?」

「んぅー」


ダ、ダメだ いくつか質問してみたが、なにがなんだか分かっていないみたいだ
ちょっとした遊び心がこんなことになるなんて

(酔っぱらい卜部もちょっと可愛いけど)

けれど、こうやって酔わせて…っていうのは、オトコとしてこう…卑怯な感じがする
そんな気はなかった、にしてもだ つくづく自分が情けない…

「んぅー…ふぅ…」

「卜部?」
見ると、いつの間にか卜部が横になっていた

「どうした? 気分でも悪い?」

「んぅ…」

とりあえず、顔色を見ようと卜部の前髪を上げる
その時卜部と目があった

(あっ…)

とろけ落ちそうなまぶた、潤んだ瞳、まっすぐな視線 そんな目を卜部はしていた

「あっ…の、卜部…」

「…椿くんだぁ」
そう言うや否や、卜部は僕の胴に脚を回し

「う、卜bうおわっ!?」
僕を軸に回転し、起きあがると

「くっ… へっ?」
瞬く間に僕が下に、卜部に乗られる形になった


「ねーぇ椿くん」

状況が全くつかめない僕に、卜部は言う

「ベッドの下に写真集なんていらないわよね」

「だって彼女の私がいるもの ね?」

「どぉしてもって言うなら、私がベッドの下に居てあげるわ」

「んぅー? それよりはベッドの上の方がいいかしら」

「でも私は下でぇ、椿くんは上なの」


「卜部…卜部… 一旦落ち着こう」

「落ち着いてるわよ」

「いや、そのまあ…とりあえず、落ち着け」
まずい
主に体勢と卜部の言動がまずい
こうしてまずいまずい思っている間にも、卜部がヤバい
まずいじゃなくてヤバい

「椿くん…」
卜部が床に手をつき、僕の顔をじっと見据える


「椿くん…」
ぼくらの視線が一直
線に交わる

る…と、卜部の口から
一筋のよだれが垂れ落ちた

それはゆっくりと、そして徐々に速度を上げながら

呆けたように開いた僕の口の中に降りた

(あ…ま……)

よだれは続けて、だらしなく垂れ流されて
その全てを僕は受け止めた

いつもより甘くて、チョコとお酒の味がして、胸が苦しくなって


どれくらいか経って、卜部は口をきゅっと閉じた
そうしてまた僕の方を見る

「…椿くん」
卜部が顔を下げる
卜部との距離が縮まっていく
卜部の前髪が顔に当たる


「卜部、待って…」
ピタリと卜部の動きが止まった
こんなになっても、僕の言うことは聞こえているみたいだ

「卜部、今の卜部に言っても分からないかもしれないけ
ど、今の卜部は卜部じゃないんだ」

「そんな卜部と、なし崩し的にこういうことするのは、その、オトコとして許せないんだ」

「それはきっと、今の卜部もそう思っているはずだよ …今のよだれで知ったんだ」

「だから卜部、申し訳ないけど、いつもの卜部でいるときにまで待っていてくれ」

「いつになるかは分からないけど、きっといつか、絶対後悔させないから…」


「……うん」

卜部は微笑むと、糸が切れたように崩れ、僕に覆い被さった
気持ちよさそうに寝息をたてている
「…おやすみ」


ーー

「んっ……」

「あ、卜部 起きた?」

「あれ…? 私…寝ちゃってたの…?」

「……なんだか、記憶が曖昧で」

「……なんで椿くんの上で寝てるのかしら」

「へっ!? あ、これはその! えと…卜部がきゅ、急に寝ちゃったから!」

「床だと寝るには固いかなって思って、その、腕まくら…? そう、腕まくらしてあげようかなって!」

そうしたらこう、ずるずるっと なんて、下手な言い訳だなと自分でも思う
それでも、一応卜部は分かってくれたようだ

「…まあいいわ」

そして僕の上から退くと立ち上がった
少しだけ足下がおぼつかないようだが

「もうこんな時間… 私、そろそろ帰るわ」

時計を見ると、もうすぐ7時になるところだった

「その前に、お水を貰えないかしら…」

ーー

「ごめんなさい、椿くん せっかく誘ってもらったのに眠ったりなんかして」

いざ帰ろうと玄関の扉を開けたところで、不意に手を止めた卜部が言う

「私、別に眠たくなんかなかったはずなのよ どうしてかしら、なにも思い出せなくて」

「い、いいんだよ ほら、宿題やらなんやらで知らず知らず疲れがたまってたんでしょ」

「椿くんの上で寝ていたこととなにか関係が…」

「な、無いったら… 無いったら無い!」

「……」
じっとこちらを見つめる目 なんでも見透かされるような

「ほ、ほんとだって……っ」

「…まあいいわ それじゃあ椿くん、また明日ね」

ーー

部屋に戻り、コップなどを片づけていると、卜部の残したオレンジジュースが目に入った

(水の方がいいって、飲まなかったんだっけ)

捨てるのももったいないなと、若干ぬるめになったそれを飲んだ
甘くて、酸っぱくて オトナとは程遠い味がした

ーー

「……」

「………あっ」

「日課を忘れていたわ…」

「…ん? でもよだれはなめさせた気がする…」

「でも日課は… ……どうしても思い出せない」

「…なんだか体が熱い」


「私、やっぱりえっちなのね」

                           戻る